祭りが終わった。
何かのイベントが終わるたびに、こんな気持ちになるけど、
やはりこれほど大きな祭りの後にはポッカリ心に穴が・・・
と、思っていたけど、不思議なことに今はそんなことは思わないっ。
不完全燃焼だったのかも。
チームとしては、最高のツールだった。チームの本拠地で
開幕をし、このチームで育ったペリーグの敢闘賞に始まり
チームのエース、フランスの英雄トマのマイヨジューヌ、
そして、フランスの星、ピエールの区間優勝(しかもラルプ・デュエズ)!
さらにマイヨブロンで、パリの表彰台。
ツールの表彰台は選手の今後の人生を変えるものだ。と
言われているけど、それは選手自身が一番感じていると思った。
一緒に食事をしたり、当たり前に話をしていたチームメイトたちが
何重にも報道陣やファンに囲まれている姿をその輪の外から見ていた。
今まで、素通りだったカメラが彼らを追いかけ、今まで応じていた
サインにさえ応じられないほどのファンがチームバスを囲む。
彼らはスポーツ紙の紙面をにぎわせ、空港ではどこを見ても
彼らの顔が拡げられているのだから、一躍、「時の人」だ。
そんな彼らを支えるスタッフは何も変わらない。
ポディウム(表彰台)に上がる選手も30分以上遅れてゴールする選手も、
同じチーム。大切な大切な選手。
こんなに大事にされている選手たちがうらやましくなるくらい。
チームのみんなは毎日代わる代わる必ず「ユキヤは大丈夫か?」
「フランスに帰ってきたか?」「今、何をしているのか?」と私に聞く。
ツールに出ていない選手も、大切にするスタッフ。そして、選手。
今回新人賞を獲得したピエールはいつも一番に「ユキヤは元気か?」と
聞いてきた。私が「おめでとう」を言う前に。
彼らは「時の人」になったその瞬間でも、ツールに出ていない、
選ばれなかった選手を気遣う優しさがあったことを私は感じた。
それは、私が日本だから。という理由だけではない。
新城と同じように、リザーブ(補欠)として登録されツール出場が
あと一歩届かなかったダミアンゴーダンは、ツール中に行われたレースで、
周囲をあっと言わせる良い走りをしたことを、ツール中スタッフも
話していた。ダミアンも言葉では言い切れぬ悔しい思いをしていたばす。
最終日、Champs Élyséeシャンシゼリゼのゴール後のパレードで、
普通なら、選手の奥さんや彼女、子供たちが乗るはずのチームカーに、
チームヨーロッパカーのチームカーには家族が一人も乗っていなかった。
前代未聞。きっとプレスの方々は気が付きもしないかもしれないけど、
去年、載せてもらった私にとっては何とも不思議な光景。ほかのチーム
から見ても、これはおかしな光景。今年は2台のチームカーが全員
スポンサー関係者のおじ様方。こんなことってあるんだっ。というなんともしっくり
こない感覚とともに、この規模のチームを維持する大変さを少しだけ感じた。
Champs Élyséeの夜、私はチームの打ち上げに行かなかった。何人かの
スタッフは、最終日のスタート後にチームの拠点に帰っていく。
トマのマッサージャーも(写真はトマのマッサー。マイヨジョーヌ決定の瞬間↓)
メカニックも打ち上げには行かずチームの指示通り車で拠点に帰る。
一か月ぶりの家族の元へ帰る。
パリの打ち上げは選手と家族のものだと知っているからこそ、
私も今年は行けなかった。
私はメディアの打ち上げに混ぜてもらって、たくさん毒吐いて、たくさんご迷惑
おかけしました。よねっ。山口さん、O前さん、綾野さん、井上さん、まきさん、
太田さん、あきこさん、梶さん、たかしさん、ナカジさん、スミさん、本当にありがとう
ございました!!!飲んだくれですいませんっ(笑)
ラルプデュウエズで日本メディアの皆さんとめちゃくちゃおいしいチーズ
フォンデューを食べながら、「フェリシタシオン!!ピエール!!」と乾杯してもらったのが
本当にうれしかったり、トマが表彰台で私のカメラに向かってポーズしてくれて、
興奮してブレブレだったりとか、キャラバン隊のみんなとお友達になって
手渡しでグッズをもらえるようになったり、テレビ局のカメラマンのみんなと
友達になって度々写ってしまったり、、、私にとって忘れられない濃い夏でした。
明日もまたレース。まだまだレースは続くけど、このツールのことは一生忘れない。
※掲載の写真を使用する場合には 『photo Miwa Iijima』
のクレジットを入れていただきますようお願いいたします。
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